ダニエル先生ヤマガタ体験記 (集英社文庫)

ダニエル先生ヤマガタ体験記 (集英社文庫)

山形弁を話す外国人タレントとして活躍するダニエル・カールが日本に興味を持ったきっかけからタレントとしての活躍を始めるまでを書き綴っていますが、メインは81年からの3年かんの山形暮らしです。
80年代以降に生まれた人なら、中学高校の頃に主にアメリカ合衆国出身のネイティブが一人は学校で教えてたりしてるのは当たり前でしょうが、カールはその前段階の全国で70から80人程度の人数を採用し各県教育委員会に配属して、英語指導にあたらせるというプログラムで採用されました。
つまり、山形県内では彼一人という状況です。そもそも山形県内に在住の外国人も牧師や神父等の職の者に限られ数は両手の指であまるという時代だったようです。

ダニエル・カールは日本留学経験もあり、どんな方言でもどんとこい!と思ってたようですが、最初山形へ赴任してまず山形駅で老人が話しているのをきいて、何を話してるのかさっぱり分からず、それどころか一つの単語も単語の切れ目自体も分からず、この人たちは日本語を喋ってるのか?そもそもここ違う国じゃないのか?
などと感想を抱き、県庁へ登庁しても連発される「んだ!」を聞き、日本語に「ん」から始まる単語は存在しないはずだ、たぶんこれは最初の「う」を聞き逃していて「うんだ(生んだ」だと思ったなど。

アメリカと比較して、日本を単純に否定的に捉えるのではなく、その違いからより両方の理解しようと努めているのが窺え待て好感をもてました。

評価A