慈恩寺

歩くのは厳しいと聞いたのでタクシーを呼びました。途中、サクランボのハウスというかビニールで屋根をつけた果樹園が目に付きました。
慈恩寺到着。

で3重塔などを見つつ本堂まで行き、案内を500円払って頼みました。
独特の調子で話す案内役の人の説明でちょっと気になったのが、ある仏像の中に毛髪と血でかかれた文書があり、これは山形県警山形大学法医学研究所の協力で鑑定した結果、同じ血液がたと解り、世界で700年弱前と、もっとも古い血液鑑定の例云々。
残念!世界で最古の試料の血液鑑定は、1991年アルプスで見つかったアイスマンです。こっちは5000年以上前と言われてます。
まあ鑑定自体は20年以上に行われており、当時は最古であったのかもしれませんが。

で仏像とかは十二神将など間近で見れて、保存と言う点では問題があるかもしれませんが、けっこうよかったです。
また鐘は衝きたかったらご自由に、との事なので何度かついてみました。案内の人の話では慈恩寺は何度も戦火に見舞われてるそうですが、この鐘で危急を知らせたりとかあったでしょう。

欄間彫刻は普通に竜で、私の地元の神社仏閣だと結構こってるものがあり、それと比べるとあまり面白いものではありませんが、本堂の天井画や飾ってある古絵画は結構よかったです。
一枚、かなりやぶれていて背紙が見えてるものもありました。背紙といえば、網野義彦さんあたりがそれらを史料に結構面白いことを書いているので案内係の方に「あの背紙はもう研究されてます?」と聞いたら「いや、まったくないです」との事。中世まではさかのぼれなくとも江戸や戦国時代あたりの面白い史料かもしれないのに・・・と少々残念でした。

あと寺社建築なため基礎は礎石造りでしたが、石の湾曲に合わせて木材を削る方法でこれが一般的なのかどうかは無知なためわかりませんでした。

あと案内役の人の説明で強調されていたのが、京文化とのかかわり。確かに出羽南部の僻地ですが、琵琶湖日本海最上川を経た水上輸送ルートを考えれば、近畿との結びつきはかなり強かったのかもしれません。そういえば、一般的に江戸時代には東国は金本位で西国は銀本位体勢でしたが米沢藩あたりは銀本位だったというのはやはり水上交通を視野にいれないと説明できないでしょう。

京都鎌倉あたりの古刹と比べるとどうなのかはわかりませんが、丁寧な案内と間近で見れた仏像はかなり満足でした。